おばあちゃんの料理ノート

遺品を整理してたら、おばあちゃんがきっちりつけていた料理ノートがみつかったという読者からの投稿を読んで、小麦粉を「メリケン粉」、バターは「バタ」など時代を感じさせる表記で大切にしていきたいという心あたたまるものだったのだが、そういう記事には少なからず今はなんでもデジタルになっちゃってとか、こうやって丁寧にえんぴつで書いたノートのにおいとか感触は時代とともになくなってしまうものなのですかねぇ、みたいな要素が含まれている。そんなに異論はないです。


でももしかしたら50年後くらいに、うちの母親もブログというものを書いていたんだとか、 家計簿ソフトなんてなつかしいねとか、思うのかもしれない。言葉遣いと記録メディアで時代を感じる。